でも、いいでしょ?

診察室から出てきた妻は、

黙って私の隣に座った。

窓から西陽が射している。

「あのさ、パパさ」

妻が切り出した。

「こんなこと言ったら、ショック受けるかな?」

妻は滅多に勿体をつけた言い方はしない。

ショックを受けることは間違いない。

「何、なに?」

「あー、やっぱりな。でもな。言うしかないかな」

胸に手を当てて、何やら迷っているようだが、

ここまで言って黙っている訳がない。

「私ね、胸に、しこりがあるんだ。右胸に」

乳ガン、

すぐにそう思った。

乳ガンだ。

乳ガン。

乳ガンだ。

「そう、だったのか」

私は、もう随分長いこと、妻の胸に触れていなかった。

妻は、私よりけっこう年上で、

更年期に入ってから、別々に寝ることを望んだ。

更年期とは、そういうものだ、

私は、よく知らないまま、そう思ってそれを受け入れていた。

たまに夜遅く帰って見かける妻の寝姿は、いつも背中ばかりだった。

南の窓を向いて、背中を向けていた。

右側を下にして。

右胸を下にして。

いつも。

いつも。

どれだけだ?

いつからだ?

私は、記憶を検索しながら、冷静に

「そうか。じゃ、検査に行かなきゃな」

と当たり前の言葉を当たり前に言った。

頭の中が、

「その時間の長さはどのくらいか」

で占められていた。

「いつから?」

聞くしかない。

「よくわかんない。忘れちゃった。1年は前だったと思うけど」

私には、なぜだか乳ガンの確信があった。

乳ガンを放置して1年以上か。

いや、それは1年と半年だ。

妻が、風呂上りの姿を隠すようになったのは、

1年半前のゴールデンウィーク明けくらいからだ。

それくらいを最後に、

私は、妻の胸を全く見ていない。

1年と半年放置した乳ガン。

基礎知識のない私にも、

それは相当重い事実だとわかった。

「ごめんね。内緒にしてて。

パパが細かいこと気にするタイプでなくて助かった。

でも不思議よ。

来週の火曜日には病院行こうと思ってたのよね。

そしたら、今日のドキドキでしょ?

なんかさ、神様が早く病院行け〜!って言ってるみたいでね」

妻は、とても淡々としている。

妻は、1年半乳ガンと生きてきたのか。

もしかしたら、乳ガンじゃない、良性のしこりかもしれない。

でも、妻が、乳ガンと思って生きてきたのは間違いない気がした。

乳ガンかどうかなんて、

もしかすると妻には関係無かったのかもしれない。

「乳ガンでもいい」

そう思っていたんだろう、お前。

死ぬ気だったな。

「あーあ、やっぱり言うんじゃなかった。

パパが落ち込むから言えなかったんだよね」

なんか、妻の論理がおかしいような気がしたが、

私は、そのおかしさについて考えることができなかった。

「先生に言ったら、

『それは外科だから、ここでは診察できません』って

言われちゃったから、外科に行かなきゃならないね」

妻はそう言ったあと、

「ゴメンね、パパ。黙ってて。

でもいいでしょ?許してね」

そう言った。

「でも、いいでしょ?」

その意味の中身が、私には考えられなかった。











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Author:endlessavemaria
こんにちは、理人(Lied;リート)です。
妻は50代前半、私は40代前半です。


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